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10000
〜〜〜数
100M+
〜〜〜数
1st
〜〜順位
1895
年創業
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ボクのマーケティングやデザイナーの原体験。 母が主催するイベントのチラシ、ポスターを作ったこと。10歳の時。それを見た母の仲間からもオーダーが入った。ほんの少しの謝礼をもらったのを、今でも覚えてる・・・。
「取締役になるんでしょ?もっとしっかりしないと。頑張りなさい」
そう言ってくれたのは、地元に帰る直前に働いていた会社の役員さんでした。
大きなミスをして、窓際部署で耐えた末の退職。
地元に帰って、すぐに法人を設立し、母がやっていた洋菓子店の経営を始めました。
この年、ボクは25歳の夏、お店を移転しリニューアルオープン。家一軒分の投資をして、大勝負。もう後には引けない・・・。
最後の会社の窓際部署はヒマで、決まったルーティーンさえしていればあとは何をしていても良くて、独立する気でビジネス書を読み漁っていた。
だから、何となくだけど自信があった。
このあとこの根拠のない自信・・・。
もちろんそんな自信は打ち砕かれる…。
経営者気取りをしながら、パソコンの前に座っているだけでいいと思っていたこの頃。開店から1年…。少しずつ客足が遠のき、売上も減ってくる・・・。
たまーに厨房に入っては好き勝手にやって、言いたいこと言うだけのめんどくさい上司をしていたと思う。
売上が下がる理由が、何が悪いのか、全くわからなかった。
良いものを作ってるし、満足してもらえるような内容のはず・・・
日に日に減っていく、銀行の預金残高と、売れない恐怖と戦う。
そんな中とある店舗マーケティングのコミュニティに参加し学び始める。ここでボクの本格的なマーケティングの知識が出来上がっていった。今でもそこの先生には感謝しているし、ありがたかった。
本当に売れなくなったから、考え方を変えた。
美味しいものを作る、いいものを作るのは当たり前。だけど、それをどうやって伝えるか、お客さんに知ってもらうかが重要なんだ。
僕らはそれをしていなかった。
商品を売りたいなら「伝えること」に力を入れなきゃならない。
それに気づき、地元に大正時代からある、竣工当時東洋一を誇った大きな煙突をモチーフにしたお菓子を、レシピ・パッケージデザイン・販売戦略まで、セルフプロデュースした。
その結果、その煙突を題材にした映画の公開も手伝って、販売開始から6ヶ月で2万個を販売。店の売上は前年比116%となりお店が始まって以来の快挙を達成。
自分の住む市は20万人居ないくらいだから、10人に1人は食べたであろうという計算。単純に自分でもそんなに売れるなんて思っておらず、マーケティング、伝えることの重要性を学ぶいい機会になった。
店の中でもPOPや店員による伝え方を変え、手を入れた商品は売れ行きが変わることを実感・・・。
これはすごい!伝え方だけでこれだけ変わるのか!
店も順風満帆、、とはいかず、肉体労働な洋菓子店に疲れてしまったことと、コロナ禍もあり、この年の3月にお店をM&Aで譲渡。
30歳にして、M&Aを経験。
2020〜2021中盤までは全く休んでました。
ウェブサイトやチラシを作ったりするお仕事を細々と頂きながら過ごしたモラトリアムな時間
流石に働かなければ・・・となりまして、
5月に
Kindle電子書籍「ビジネスシフト Business Shift」出版。ベストセラー・1位を11冠獲得。
でも、商品販売にはつながりませんでした。また挫折。だいぶ心折れました。
セールスファネルという考え方に出会ったのも、書籍を出版する頃でした。でもどうやって表現したらいいのか全くわからず、Clickfunnelsの使い方もわからず、宝のもち腐れ状態でした。
その後、基礎基本に立ち返って、伝えるにフォーカス。
8月からはスイーツインフルエンサーの方ジョイントして食テーマのオンラインサロン立ち上げ、売上を立てられるようになった。
店舗売却から1年半貯金を崩してきた中で、売上を取れるようになったことは本当に嬉しかったことを覚えている。
というコンセプトを掲げ、世界基準のウェブサイト戦略を広める活動をしている。
ウェブサイト構築を請け負って作るときに、どうしてもクライアントの要望に従来のウェブサイトでは応えきれなかった。だがファネルサイトならばこれを解決できると確信をしたからだ。
ビジネスをするならば、ファネルハブとセールスファネルは必要不可欠な仕組みであって、日本で初のファネルハブビルダーとして発信し続けています。