About

Dr. 飯塚 浩

精神科医
全方位医療家

About

Dr. 飯塚 浩

精神科医
全方位医療家

根本治療
真の健康を求めて

鳥取大学医学部精神神経医学部教室に入局後、難治性うつ病、躁うつ病を中心とした特にストレスホルモンを軸にした研究に従事。難治性病態の治療の傍ら、漢方や心理療法などにも積極的に取り組む。
平成8年より家族機能研究所・さいとうクリニックにおいて、ドメスティック・バイオレンス、児童虐待、家庭内暴力などの家庭問題、アルコール薬物問題、摂食障害、ギャンブル、買い物依存、借金など多数の嗜癖問題、災害や犯罪被害によるPTSDなどの問題の臨床と研究に同クリニック副院長として取り組む。
平成11年より鳥取大学医学部附属病院に戻り、同大学病院心理療法室の主任などを経て、平成13年4月よりメディカルストレスケア飯塚クリニックを開院。
一般的な精神科薬物療の工夫にとどまらず、オーソモレキュラー栄養療法、遺伝子栄養療法、漢方、頭鍼治療(PAPT)、カンナビノイド医療などを用いて臨床的成果を上げており、専門家向けセミナー、講演などで積極的に情報発信。
2018年6月より、臨床CBDオイル研究会の代表として、日本におけるカンナビノイド医療の普及に向けた活動を行っている。同研究会は現在580名以上のドクターを擁する日本最大のカンナビノイド医療の専門家グループに成長しています。

著書:「小さな町の精神科の名医が教える メンタルを強くする食習慣(アチーブメント出版)」
代表的な講座(下記2つは本邦初の包括的なカンナビノイド医療の講座である)
 『CBDドクター講座BASIC』(ドクター向け)
 『CBD認定アドバイザー講座』(非ドクター向け) 

根本治療と
真の健康を求めて

鳥取大学医学部精神神経医学部教室に入局後、難治性うつ病、躁うつ病を中心とした特にストレスホルモンを軸にした研究に従事。難治性病態の治療の傍ら、漢方や心理療法などにも積極的に取り組む。
平成8年より家族機能研究所・さいとうクリニックにおいて、ドメスティック・バイオレンス、児童虐待、家庭内暴力などの家庭問題、アルコール薬物問題、摂食障害、ギャンブル、買い物依存、借金など多数の嗜癖問題、災害や犯罪被害によるPTSDなどの問題の臨床と研究に同クリニック副院長として取り組む。
平成11年より鳥取大学医学部附属病院に戻り、同大学病院心理療法室の主任などを経て、平成13年4月よりメディカルストレスケア飯塚クリニックを開院。
一般的な精神科薬物療の工夫にとどまらず、オーソモレキュラー栄養療法、遺伝子栄養療法、漢方、頭鍼治療(PAPT)、カンナビノイド医療などを用いて臨床的成果を上げており、専門家向けセミナー、講演などで積極的に情報発信。
2018年6月より、臨床CBDオイル研究会の代表として、日本におけるカンナビノイド医療の普及に向けた活動を行っている。同研究会は現在580名以上のドクターを擁する日本最大のカンナビノイド医療の専門家グループに成長している。

著書:「小さな町の精神科の名医が教える メンタルを強くする食習慣(アチーブメント出版)」
代表的な講座(下記2つは本邦初の包括的なカンナビノイド医療の講座である)
 『CBDドクター講座BASIC』(ドクター向け)
 『CBD認定アドバイザー講座』(非ドクター向け)

保有資格・認定など

  • ​精神科専門医・医学博士
  • ​メディカルストレスケア
    飯塚クリニック 院長
  • ​臨床CBDオイル研究会 代表
  • ​日本オーソモレキュラー医学会 理事
  • ​PAPT(新頭鍼療法)研究会 理事

保有資格・認定など

  • ​精神科専門医・医学博士
  • ​メディカルストレスケア
    飯塚クリニック 院長
  • ​臨床CBDオイル研究会 代表
  • ​日本オーソモレキュラー医学会 理事
  • ​PAPT(新頭鍼療法)研究会 理事

私のストーリ

医師としての
始まり・・・

医学生時代、遺伝子工学の教室に通いつめ、癌の抑制遺伝子の最先端研究を学ばせてもらいました。米国にも留学させてもらい、ノーベル賞学者とランチを食べながらディスカッションできるような最先端の研究環境を体験できる機会にも恵まれました。

しかし、その一方で東洋医学にも惹かれ、漢方の勉強会にもしばしば参加させていただきました。当時は漢方に興味を示す医学生が少なかったこともあり、東洋医学会の重鎮である素晴らしい先生方にも直接教えていただける機会がありました。

臨床実習に入り、現場に慣れてくると、徐々に違和感が生じてきました。「症状」に対して必要な検査を行い、「病名」が決まり、そしてその診断名に沿った「治療」が行われます。しかしその治療の奏効率はそれほど高くありません。
「何割かは治療に反応しないことがあります」で済まされては患者さんはたまったものではありません。
また「ちょっとした不調」を抱えたまま長年通院されている患者さんが大量におられました。もっと適切な病態把握の仕方があるのではないかという疑問が大きくなる臨床実習でした。

 そのような体験を総合した結果、私は「東洋医学」に進む決断をし、入局先も当時国立大学では唯一漢方の講座のあった富山医科薬科大学に入局を決めました。ところが直前になって「自分のところの卒業予定者から想定以上の入局希望があり、指導教官が少ないため他大学からの入局を受け容れられない」といった連絡があったのです。もう国家試験直前でした。数日間悩んだ末、とりあえず臨床実習中もっとも「わけがわからない」印象だった「精神科」に進むことにしたのです。当時まだ神戸大学の現役教授だった中井久夫先生の著書に感銘を受けていたこともあったと思います。

精神科入局後、素晴らしい出来事が起こりました。実臨床も研究も素晴らしくできる岸本朗先生に指導教官になっていただけたことです。 
精神科の臨床実習中、「同じ診断名の患者さんで、同じ効能の薬で、どうしてこの患者さんに今出ているクスリを使ったのか、他剤をつかったらどのようになるのか」とういう質問をいろいろな先生にしたのですが、どなたにもまともに答えていただけず、いったい何をみて治療しているのか「わけがわから」なかったのです。

ところが岸本先生だけは違いました。ちゃんと患者さんの病態を分類しており、薬剤も特徴をとらえて細かく使い分けておられました。
他院で長年治療して改善がなかった患者さんも先生の処方であっという間に寛解してしまう場面を何度もみました。この技術を身につけたいと思った私は岸本先生の外来に常に陪席させてもらいました。先生のバイト先までスッポンのようについていっていました。

その甲斐あって、1年後には大分マネができるようになりました。2年目に他病院に出た際には、自分が同じように多くの患者さんを改善させられることになことにやや有頂天となりました。
しかしそのうちにうまく改善させられない一部の患者さんがだんだん気になってきます。

その時から、漢方、システムズアプローチ、家族療法、サイコドラマ、依存症治療などを休みのたびに東京などに勉強しにいっていました。また難治性うつ病や双極性障害の治療におけるHPA系機能の研究にも没頭しました。その後岸本先生が大学を去ることとなり、私のやっていることを話し合える相手がいなくなってしまいました。

そのような時に「アルコール依存症」などの依存症の第一人者であった斎藤学先生に声をかけられ、東京の斎藤学診療所・家族機能研究所で臨床と研究を行いました。
摂食障害、アルコール薬物の依存症、犯罪・災害被害のPTSD、児童虐待、さまざまな家族問題など、薬物療法だけではどうしようもない問題に数年間取り組みました。

9時から夜中まで週6日で診療し、夜は取材や執筆、日曜は講演といった生活をしていましたので、生まれたばかりの長女を抱えて頑張っている奧さんをなかなか手伝えません。
これではいけないと一大決心をし、妻の実家に近い鳥取大学に移ることにしたのです。

暗中模索の日々

開業と家族

鳥大では当時大学病院に心理療法室というものができており、心理学部出身の修士過程の学生も引き受けていました。
その心理療法室の室長と精神科教室の方でも精神薬理班と精神療法班の班長などを任せられ、それなりに忙しくなりました。
しかし実際の患者さんを診る時間が減ってしまったことが不満になり、2001年に開業しました。

開業後も家族問題に対処するための保健師、弁護士、教師、医療関係者などを集めた「家族臨床研究会」といったものを作ったり、新聞連載で少年犯罪や家族問題、メンタルヘルス関連の情報発信を行ったりしていました。
またメンタル疾患が多く自殺者も毎年でてしまうという大企業の健康管理室に頼みこまれ、アンケートを配ってストレスが大きい人に対し片っ端から面接するという現在のEPA(従業員支援プログラム)の走りのようなことも行いました。
翌年から私が支援していた数年間はピタリと自殺者がなくなりましたので効果があったと自負しています。

私が東京で臨床していた時期に、母親が癌になり、抗癌剤治療をはじめてすぐに亡くなってしまいました。
また父親も交通事故後被害後にどんどん脊髄がやせ、下半身麻痺となり、改築などしてぎりぎりまで一人暮らしをしておりましたが、施設に移って間もなく亡くなりました。

妻は結婚前から貧血やめまい、片頭痛などの不調が続いていました。
私たちの二人の子供は、生まれたときからアトピーがひどく、喘息も患っていました。アトピーはステロイドを塗れば痒みは治まるけれど、根本治療になるわけではありません。

このような家族の不調をスッキリさせられない医療にもやもやし、さまざまな治療法を求めてさまよいました。

開業後しばらくしてオーソモレキュラー栄養療法の出会いがありました。妻は食生活を改善し、栄養を補充しながら漢方を使用すると大きく体調が良くなりました。漢方も栄養が不足していた時期より格段に効くようになりました。

長男が小学校5年生のとき、アトピーが悪化し、鉛筆も持てなくなってしまいました。その悪化を契機に栄養療法にきちんと取り組む決意をしました。まずは乳製品や小麦粉の摂取をやめさせ、給食もお弁当を持参させました。
そして血液検査で不足していることが判明した鉄や亜鉛、ビタミンAやDといった栄養素を補給していきました。そうすると3ヶ月くらいでアトピーがみるみる改善し、その痕跡すら綺麗になくなったのです。

その後も高濃度ビタミンC点滴やグルタチオン点滴、マイヤーズカクテルなどの点滴療法や頭鍼療法のPAPTなどの治療を取り入れていきました。
ブロードスペクトラムCBDオイルを用いた治療は、身近な頭痛や不眠などから難治性てんかんなどの難病まで、多くの人を救いました。CBDオイルの普及があまりにも日本で進んでおらず、製品選択も難しく、価格も高額でした。
そのことからドクターを対象とした「臨床CBDオイル研究会」を作り、最高品質のCBDオイルを今までの数分の1の価格でドクターに提供し、さらに臨床知見をシェアしました。臨床CBDオイル研究会は現在約600名ものドクターが所属するカンナビノイド医療の専門家グループに成長しています。

最近ではMATRIX(旧MDα)を用いた治療により、重症アトピーの患者さんが改善したり、精嚢まで浸潤していた前立腺癌患者さんのPSA値が完全に正常化したりしました。
水素治療、有機ゲルマニウム、5デアザフラビンなど有望な治療がまだまだあります。

新療法との
出会い

私が目指すもの

しかし、私が目指すのはあくまで「真の健康」であり幸福です。

「対症療法」も必要なことですが、それに終始しては、モグラ叩きのように次々と別の症状が出現します。
人間の体はさまざまなものがうまく循環することで「健康」な状態となります。
実際の治療ではやたらめったらサプリを勧めるようなことを私はしません。完全な栄養を摂取したとしても人は健康になりません。

東洋医学ならば「気血水」がきちんと巡らねばなりません。その循環は人と人、人と自然などさまざまな循環とリンクしています。

他者や自然から良いものを受け取り、良いものを返していく。他者や自然とのそのような繋がりで人は真に健康となり幸福になると考えています。

私のストーリー

医師としての
始まり・・・

医学生時代、遺伝子工学の教室に通いつめ、癌の抑制遺伝子の最先端研究を学ばせてもらいました。米国にも留学させてもらい、ノーベル賞学者とランチを食べながらディスカッションできるような最先端の研究環境を体験できる機会にも恵まれました。

しかしその一方で東洋医学にも惹かれ、漢方の勉強会にもしばしば参加させていただきました。当時は漢方に興味を示す医学生が少なかったこともあり、東洋医学会の重鎮である素晴らしい先生方にも直接教えていただける機会がありました。

臨床実習に入り、現場に慣れてくると、徐々に違和感が生じてきました。「症状」に対して必要な検査を行い、「病名」が決まり、そしてその診断名に沿った「治療」が行われます。しかしその治療の奏効率はそれほど高くありません。
「何割かは治療に反応しないことがあります」で済まされては患者さんはたまったものではありません。
また「ちょっとした不調」を抱えたまま長年通院されている患者さんが大量におられました。もっと適切な病態把握の仕方があるのではないかという疑問が大きくなる臨床実習でした。

 そのような体験を総合した結果、私は「東洋医学」に進む決断をし、入局先も当時国立大学では唯一漢方の講座のあった富山医科薬科大学に入局を決めました。ところが直前になって「自分のところの卒業予定者から想定以上の入局希望があり、指導教官が少ないため他大学からの入局を受け容れられない」といった連絡があったのです。もう国家試験直前でした。数日間悩んだ末、とりあえず臨床実習中もっとも「わけがわからない」印象だった「精神科」に進むことにしたのです。当時まだ神戸大学の現役教授だった中井久夫先生の著書に感銘を受けていたこともあったと思います。

暗中模索の日々

精神科入局後、素晴らしい出来事が起こりました。実臨床も研究も素晴らしくできる岸本朗先生に指導教官になっていただけたことです。
精神科の臨床実習中、「同じ診断名の患者さんで、同じ効能の薬で、どうしてこの患者さんに今出ているクスリを使ったのか、他剤をつかったらどのようになるのか」とういう質問をいろいろな先生にしたのですが、どなたにもまともに答えていただけず、いったい何をみて治療しているのか「わけがわから」なかったのです。

ところが岸本先生だけは違いました。ちゃんと患者さんの病態を分類しており、薬剤も特徴をとらえて細かく使い分けておられました。
他院で長年治療して改善がなかった患者さんも先生の処方であっという間に寛解してしまう場面を何度もみました。この技術を身につけたいと思った私は岸本先生の外来に常に陪席させてもらいました。先生のバイト先までスッポンのようについていっていました。

その甲斐あって、1年後には大分マネができるようになりました。2年目に他病院に出た際には、自分が同じように多くの患者さんを改善させられることになことにやや有頂天となりました。
しかしそのうちにうまく改善させられない一部の患者さんがだんだん気になってきます。

その時から、漢方、システムズアプローチ、家族療法、サイコドラマ、依存症治療などを休みのたびに東京などに勉強しにいっていました。また難治性うつ病や双極性障害の治療におけるHPA系機能の研究にも没頭しました。その後岸本先生が大学を去ることとなり、私のやっていることを話し合える相手がいなくなってしまいました。

そのような時に「アルコール依存症」などの依存症の第一人者であった斎藤学先生に声をかけられ、東京の斎藤学診療所・家族機能研究所で臨床と研究を行いました。
摂食障害、アルコール薬物の依存症、犯罪・災害被害のPTSD、児童虐待、さまざまな家族問題など、薬物療法だけではどうしようもない問題に数年間取り組みました。

9時から夜中まで週6日で診療し、夜は取材や執筆、日曜は講演といった生活をしていましたので、生まれたばかりの長女を抱えて頑張っている奧さんをなかなか手伝えません。
これではいけないと一大決心をし、妻の実家に近い鳥取大学に移ることにしたのです。

開業と家族と

鳥大では当時大学病院に心理療法室というものができており、心理学部出身の修士過程の学生も引き受けていました。
その心理療法室の室長と精神科教室の方でも精神薬理班と精神療法班の班長などを任せられ、それなりに忙しくなりました。
しかし実際の患者さんを診る時間が減ってしまったことが不満になり、2001年に開業しました。

開業後も家族問題に対処するための保健師、弁護士、教師、医療関係者などを集めた「家族臨床研究会」といったものを作ったり、新聞連載で少年犯罪や家族問題、メンタルヘルス関連の情報発信を行ったりしていました。
またメンタル疾患が多く自殺者も毎年でてしまうという大企業の健康管理室に頼みこまれ、アンケートを配ってストレスが大きい人に対し片っ端から面接するという現在のEPA(従業員支援プログラム)の走りのようなことも行いました。
翌年から私が支援していた数年間はピタリと自殺者がなくなりましたので効果があったと自負しています。

私が東京で臨床していた時期に、母親が癌になり、抗癌剤治療をはじめてすぐに亡くなってしまいました。
また父親も交通事故後被害後にどんどん脊髄がやせ、下半身麻痺となり、改築などしてぎりぎりまで一人暮らしをしておりましたが、施設に移って間もなく亡くなりました。

妻は結婚前から貧血やめまい、片頭痛などの不調が続いていました。
私たちの二人の子供は、生まれたときからアトピーがひどく、喘息も患っていました。アトピーはステロイドを塗れば痒みは治まるけれど、根本治療になるわけではありません。

このような家族の不調をスッキリさせられない医療にもやもやし、さまざまな治療法を求めてさまよいました。

新療法との
出会い

開業後しばらくしてオーソモレキュラー栄養療法の出会いがありました。妻は食生活を改善し、栄養を補充しながら漢方を使用すると大きく体調が良くなりました。漢方も栄養が不足していた時期より格段に効くようになりました。

長男が小学校5年生のとき、アトピーが悪化し、鉛筆も持てなくなってしまいました。その悪化を契機に栄養療法にきちんと取り組む決意をしました。まずは乳製品や小麦粉の摂取をやめさせ、給食もお弁当を持参させました。
そして血液検査で不足していることが判明した鉄や亜鉛、ビタミンAやDといった栄養素を補給していきました。そうすると3ヶ月くらいでアトピーがみるみる改善し、その痕跡すら綺麗になくなったのです。

その後も高濃度ビタミンC点滴やグルタチオン点滴、マイヤーズカクテルなどの点滴療法や頭鍼療法のPAPTなどの治療を取り入れていきました。
ブロードスペクトラムCBDオイルを用いた治療は、身近な頭痛や不眠などから難治性てんかんなどの難病まで、多くの人を救いました。CBDオイルの普及があまりにも日本で進んでおらず、製品選択も難しく、価格も高額でした。
そのことからドクターを対象とした「臨床CBDオイル研究会」を作り、最高品質のCBDオイルを今までの数分の1の価格でドクターに提供し、さらに臨床知見をシェアしました。臨床CBDオイル研究会は現在約600名ものドクターが所属するカンナビノイド医療の専門家グループに成長しています。

最近ではMATRIX(旧MDα)を用いた治療により、重症アトピーの患者さんが改善したり、精嚢まで浸潤していた前立腺癌患者さんのPSA値が完全に正常化したりしました。
水素治療、有機ゲルマニウム、5デアザフラビンなど有望な治療がまだまだあります。

私が目指すもの

しかし、私が目指すのはあくまで「真の健康」であり幸福です。

「対症療法」も必要なことですが、それに終始しては、モグラ叩きのように次々と別の症状が出現します。
人間の体はさまざまなものがうまく循環することで「健康」な状態となります。
実際の治療ではやたらめったらサプリを勧めるようなことを私はしません。完全な栄養を摂取したとしても人は健康になりません。

東洋医学ならば「気血水」がきちんと巡らねばなりません。その循環は人と人、人と自然などさまざまな循環とリンクしています。

他者や自然から良いものを受け取り、良いものを返していく。他者や自然とのそのような繋がりで人は真に健康となり幸福になると考えています。

私の信念

治るなら、なんでもやってみる。
必ずその先に答えがあるはず。

身体は嘘をつかない。
だから患者さんの身体や心の訴えに耳を傾けて
そのまま患者さんに伝えるのが私の役目です

治るなら、なんでもやってみる。
必ずその先に答えがあるはず。

身体は嘘をつかない。

だから患者さんの身体や心の訴えに耳を傾けてそのまま患者さんに伝えるのが私の役目です

こんなことを
感じているなら
間違いかもしれません

薬やサプリメントだけで治るなんてことは間違っています。
ただ単に栄養を入れれば治るわけではないのです。

エネルギーにあふれた日々のためには栄養を上手に取り込むための消化する力を維持することが大事なんです。

その力を維持するためには、自分の体や心の声を聞いて適切な習慣形成していく必要があるからです。

正しい知識を
身に付けることから
始めましょう!

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小さな町の精神科の名医が教える

メンタルを強くする食習

人の健康とは何からきているのか。
誰もが答えにあげるであろう食べること。あなたは食べることを大事にしていますか?

現代は、多くの食品が本当なら健康に良くないものも気にすることなく使用されて、店頭に並んでいます。保存料、人工甘味料、着色料・・・。
そして、それを美味しいと言って食べているのです。

いかにあなたの健康にとって良くないことなのか。
そしてその食習慣をどのように変えて、健康な日々を暮らせるようになるのか。

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